医療系メールニュースより~香山リカさんのブログ

以下、引用です。
「笑って許して」の精神 香山リカのココロの万華鏡
記事:毎日新聞社
提供:毎日新聞社
【2008年7月15日】
香山リカのココロの万華鏡:「笑って許して」の精神 /東京
 イタリアのフィレンツェにある世界遺産の大聖堂に、日本の学生などが落書き。
 この報道に驚いた人は少なくないと思うが、謝罪に出かけた短大の学生たちへの大聖堂の対応に驚いた人は、もっと多いのではないだろうか。謝意とともに修復費として約10万円の寄付を申し出た学生たちに、大聖堂の事務局長は「謝罪訪問という勇気ある行動に感銘を受けた。寄付金で落書きを消した個所に学校名入りのタグ(銘板)を作りたい」と応じたというのである。
 それ以上の詳しいやり取りはわからないのだが、なんと寛大な対応だろう。学生たちは、日本をたつときには、ひどく怒られるんじゃないか、と不安でいっぱいだったはずだ。そして、「まあ、仕方ない」と渋々、許されるどころか「感銘を受けた」とまで言われて、ただの安堵(あんど)を超えた強い感動を覚えたのではないだろうか。
 私たちの社会は、最近、人を許すことが苦手になっている。かつて甘やかされた子供たちが社会のルールを守れない大人になっている、として、体罰やスパルタ教育の復活を望む声もある。成果主義の名のもと、「期待したような結果を出せなかったので」と切り捨てられる社員もいる。裁判でも、厳罰化の動きが止まらない。
 もちろん私たちは、こうして厳しい態度を取り合うことで、社会を悪くしようと思っているわけではない。日本をより良い方向に導くためには、甘やかすことやすぐに許すことをちょっと控えたほうがよい、と思っているのだ。
 ところが、実際はどうだろう。社会が厳しい方向に向かえば向かうほど、うつ病で倒れる人が増えている。自殺者の数もいっこうに減らない。孤独感や不安感をつのらせ、それを他者への憎悪に転じる人さえいる。診察室で「たしかに失敗した私が悪いんです。でも、みんなに厳しい目を向けられるのはつらい」と涙を流す人たちを見ながら、「誰かひとりくらい、この人を許してあげようという人はいなかったのか」と世間の冷たさにひそかに怒りを覚えることも少なくない。
 大聖堂の人たちは、なぜ日本の学生を許せたのだろう。やはり、キリスト教精神に基づくものなのか。宗教を持たない人も多い日本社会では、人を許すのは意外にむずかしいのかもしれない。
 しかし「自分にも厳しく他人にはもっと厳しく」が住みやすい社会だとは、どうしても思えない。かつての流行歌ではないが、今の私たちに必要なのは「笑って許して」の精神ではないのだろうか。
======================以上引用==========================
日々の生活や仕事のストレスで充分に疲労が溜まっている。
でも、心の中や頭の中では
「もっと頑張らなければならない。」
「10やることを7しか出来なかった。」
「もっとやれば、もっとできる。」
「出来ると心にイメージすれば、必ず出来る。」
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確かに気力を振り絞る場面も必要かもしれない。
でも、常にそれでは身体はもたないでしょう。
脳が疲れた、肝臓が疲れた、胃が疲れた、心臓が疲れた…
これらは誰でもがすぐに治そうとするでしょう。
でも「筋肉(骨格筋)が疲れた」=「身体が疲れた」は、多くの方が無視します。
社会が無視するように仕向けているかもしれません。
パートナー、親子、上司と部下など、
もっと頑張ることを望み、もっと頑張って応えようとする。
ひょっとしたら、カウンセラー、医師、ライフコーチなど
貴方を導くはずの人たちも頑張ることを強要しているかもしれません。
「体重の40%を占める骨格筋」=「身体の中で一番大きな器官」です。
これほど大事な器官の疲労に、もっと目を向けませんか。
充分に頑張っていることを自分で認めませんか。
貴方の骨格筋は、貴方が想像しているより遥かに疲労しています。
疲労していることを寛大に認め、回復することを考えませんか。
貴方の身体に重大なダメージが出てしまわないように。

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